14.蔦木(信濃境駅)〜下諏訪(下諏訪:終点)



(1)自宅を05:48に自動車で出発。中央自動車道を八王子インターからのって小淵沢ICで降ります。信濃国の蔦木(つたき)宿に到着したのは08:32です。1泊二日で最終の下諏訪宿を目指します。距離は、32Kmあります。今回は、妻と2人旅です。宿は、諏訪温泉にぎりぎりでとりました。

予約はなかなか取れなかった。











(2)信濃境駅
無人駅で何もありません。出発地点です。  
電車も、2時間に1本ぐらいです。












(3)蔦木宿

1604年(慶長9年) 江戸から、甲府までの甲州道中が整備され、その後下諏訪まで延長された際に蔦木宿が設けられた。 1843年の甲州道中宿村大概帳(こうしゅうどうちゅうしゅくそんだいがいちょう)によると蔦木宿は、家数:105件、本陣:1軒、問屋:2軒、旅籠:15軒、であった。 人口は、508人の宿場町。








(4)和泉屋
宿場町は、ちょっとさみしい感じの道です。ただ、「和泉屋」の看板があるだけです。

人が住んでいない家もあります。






(5)175Kmポスト
日本橋からよくもここまで歩いたね〜。






(6)甲州街道の途中
甲州街道の途中にあぜ道はよくありますが、イノシシ除けで網が張られています。
農家の人は、イノシシで苦労しているようです。









(7)甲州街道

田んぼとそばの畑

田んぼの1/5ぐらいがそばの畑です。 右側の白い花がそばの畑です。



(8)とちの木防除林
樹齢200年。当時は、風当りが強く五穀は実らず、無住の地であった。 とちの木の住民が、1789年に当時の高島藩に願い出て風除けの防風林として赤松を植えた。

100mぐらい赤松は、続く。





(9)富士見パノラマスキー場

富士見パノラマスキー場が、甲州街道の南方向にみえます。










(10)一里塚

神戸の一里塚 

東海道五十三次、甲州街道を含めて一番大きな塚だと思いました。
とても立派。









(11)風景

金沢宿の到着前。山の中を、中央線の3両編成が走っていた。





------金沢宿-START----------------------------------------------------------


(12)金沢宿

長野県茅野市金沢です。
金沢宿の立て看板があるだけです。

甲州道中宿村大概帳(こうしゅうどうちゅうしゅくそんだいがいちょう)によると家数:161軒、本陣:1軒、問屋:2軒、旅籠:17軒、人口:622人

しかしこの町は、EPSONの工場、寮、テニスコートなどなどで発展しているようです。







(13) 松坂屋跡 

松坂屋跡の看板です。
旧旅籠屋「松坂屋武右衛門」 看板には、HOTELと刻まれています。
昭和の初期までは営業していたらしい。







(14)りんご

「りんご」をみたら、ほっておくことはできない。

青森のりんごよりも小さい。

袋をかけて育てたのが“ふじ”
袋をかけないで栽培したものが“サンふじ”(SUNふじ)
ってことは茅野市のりんごはほぼサンふじです。





(15)温泉

不思議なことを発見。
金沢宿は、左のような温泉タンクが、200m単位に点在しており、ある時は共同のお風呂、ある時は、野菜洗い場にしている様子。

この裏には、バケツが2個ぐらいあります。



------上諏訪宿-START----------------------------------------------------------



(16)酒蔵が4軒が100m四方に集まっています。

銘酒真澄  ここです。
銘酒横笛
銘酒本金
銘酒麗人


試飲サービス:1800円でへろへろ状態。

真澄は寛文2(1662)年創業。清冽な水と冷涼な気候に恵まれた霧ヶ峰の山ふところ信州諏訪で、諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」を酒名に冠した酒を醸してきました。






(17)銘酒横笛

創立年月日
昭和33年10月1日 デス。








(18)銘酒麗人


諏訪の地に麗人が創業しましたのは、今を遡ること二百余年、
寛政元年(西暦1789年)のことです。寛政元年(西暦1789年)





(19)諏訪温泉 浜の湯

コストパフォーマンスがとてもよかった。

四季折々の会席料理と諏訪湖のほとりで過ごす
癒しと寛ぎに満ちた宿 - 信州上諏訪温泉 浜の湯
夕食は、塩尻の山賊焼きを食べに出かけました。





(20)塩尻市の「山賊」

塩尻市の中で、有名です。
上諏訪温泉から自動車で40分fぐらいですが、
オープン17:00で17:20に行ったらすでに行列ができていました。













(21)山賊焼き
山賊焼きは、基本的には鳥の唐あげ

山賊定食:850円 小生は、+馬刺し +もつ煮で1650円

+ビールです。






(22)ホテルの太鼓
諏訪大社をイメージしている太鼓です。

3曲打ってました。












------下諏訪宿-START(翌日)----------------------------------------------------------





(23)ホテルの朝食

若者向けにありましたが
これ以外にスクランブルエッグとウインナーがとり放題です。

なべには、シジミの味噌汁です。

このホテルは、お勧めです。







(24)下諏訪宿を目指してスタート
下諏訪宿までは、5.9Kmです。

甲州街道の終点です。















(25)上諏訪駅
上諏訪駅前の歩道橋からの写真

















(26)吉田の松

藩主 忠虎の大阪城守備に随行した吉田式部彦江門が持ち帰った
黒松













(27)諏訪湖

諏訪湖です。手前には、藻がいっぱい生えています。

















(28)一里塚
甲州街道最後の53番目の一里塚です。
















(29)諏訪大社 下社秋宮
日本最古の神社の一つ。
信濃の国造りをしたのち、日本の守護神としてこの地に鎮座した。
7年に一度の御柱祭は有名。















(30)さざれ石

日本の国家のさざれ石















(31)甲州道中、中山道合流の地















(32)甲州道中、中山道合流の地
















(33万治の石仏

1974年、たまたま諏訪大社の御柱祭を見学に来られこの石仏と対面された、画家の岡本太郎さんや、作家の新田次郎さん方が感嘆されたことにより、一躍話題を呼び講演又は雑誌等で全国に紹介され知られることになりました。石仏の「万治」は、この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれているところによるものです。
誕生の由来
明暦3年(1657年)、諏訪高島三代藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に遺石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。
驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、霊を納めながら建立された・・とされているのがこの石仏です。





(34)甲州街道の旅のアイテム

(1)まっぷる 信州
(2)地図
(3)ちゃんとあるける「甲州街道」